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【第一章】広田光輝の過去

はじめまして、広田光輝と申します。

軽く自己紹介をさせてもらうと、
僕は平成4年に大阪で生まれた、現在26歳です。

 

決して裕福ではない家に生まれてからはや26年。
今では東京へ進出して、地上50階以上あるタワーマンションに住み
毎月500万円以上の利益を出し続けています。

 

つまり、多くの会社員の年収を1ヶ月で稼いでいる26歳、ということになります。

しかも稼いでいるのは僕だけではありません。

 

僕が今までに指導してきた生徒さんは、
200名以上の方々が月収30万円以上稼いでいます。

こちらの動画を見ていただければ、
僕が指導してきた人達の実績がわかっていただけると思います。

資本主義が猛威をふるい多くの会社が苦しむ中、
これだけの結果を出せたことは、僕の自信にもなっています。

しかし、上で述べたような生活を送っている自分ですが、
元からお金持ちのお坊っちゃまではありません。

 

それどころか、最終学歴は偏差値32のど底辺高校出身。
華々しい経歴とは無縁の男です。

そんな僕がどうして社長となり、これほどの結果を出せたのか?

 

僕はその経過の全てをあなたに知ってもらうために、筆をとりました。

普段は経験しないような、だいぶ変わった過去ですが、
ぜひじっくりと読んでいただければと思います。

ひたすらぶっ飛んでいた10代

話は遡り、中学1年生のころ。
当時の僕はサッカーばかりしていた少年でした。

ですがある時、それまでの熱が急に冷めてしまったんです。
「自分がやりたい事はサッカーでは無いな……」

ふとそう感じてからは、自然と足が遠のいてしまいました。

それからはドンドン道を踏み外す毎日です。

中学2年生の時には、大阪・日本橋のでんでんタウンで
怪しいバイトに手を出して何と逮捕されました。
(ちょっと法に触れそうなDVDを販売するバイトです……笑)

(実際に逮捕された時のニュース写真です。)

この時に、約30日の鑑別所生活を送りました。
罪の意識も浅い若者は塀の中に入れられても、まだ更生する事はありませんでした。

学校なんてもってのほか。
朝起きたらゲーセンに遊びに行き、
お昼になったらたまに学校へ行く。

そんな中学生活を送っていました。

 

やがて進学の時期を迎え、入学したのは、
布施北高校という地元最低と名高い高校。

理由といえば「先輩みんな行ってるし、仕事はしたくない」という軽い感じです。

 

入ってみればそこはまるで実写版クローズの様な、
とんでもないバカ学校でした。

出前のバイトをやりながら、朝も夜もバイクで走り回り、
学校に行くのはやっぱり昼前です。

将来の事なんてなんにも考えていませんでした。
でも毎日はただただ楽しかった。

 

そんなある日。

 

僕の人生を変える大きな出来事が起こりました。

突然のバイク事故で激変する人生

ある日の夜、バイクで走りまくった後の帰宅途中。

いつもの走り慣れた地元の道で、何も考えずに
信号など気にも留めずに交差点を横断した、、、

まさにそのときです。

 

僕は走ってきた車に衝突してしまいました。

目の前が真っ白になり、気がついたら8メートル程先の冷たい地面の上。

吹っ飛ばされ、意識を失っていたようでした。
幸い怪我はありませんでしたが、事故は事故。
話はそれだけでは終わりません。

 

全ての過失は信号無視をした僕にあったため
相手の車の弁償代とバイクの修理費(知人のバイク)、
合わせて200万円を払わなければならなくなります。

結局自分だけではお金を工面できずに、親に立て替えてもらうことに。

しかし、裕福ではない僕の実家に200万円の負担は重く、
しかもちょうどその事故の数ヶ月前に、身内に不幸があったばかりでした。

それも、自殺。

 

借金のために自殺してしまったんです。
一人山奥で練炭を焚き、亡くなったとのこと……。

15分に1人が自殺していると言われる日本。
その原因は、ほとんどが「お金の問題」から来る「ストレス」や「人間関係」らしいです。

 

そんな不幸なお知らせが届く中、さらに両親に迷惑をかけてしまった。

そんな自分に後悔しても時すでに遅く、
また僕に選択の余地はありません。

こうして、借金返済の日々は始まりました。

一刻もはやい借金返済のために

何が何でもお金が必要になってからは一切の遊びを封印し、
とにかくバイトに明け暮れました。

学校が終わって、友達はカラオケやボウリングへ遊びに行きます。
僕はそれを見送り、毎日バイトをしてお金を稼ぎました。

そして高校卒業後はある会社に就職。

 

毎朝5時半起床、家に帰れるのは夜の22時という、超長時間労働の会社です。

しかしその甲斐あってか、事故から1年半ほど経った頃、
なんとか借金を返すことができました。

ただそれは、僕が働いたから、というだけではありません。

途中で何度も心が挫けそうになっても必死に働けたのは、
当時付き合っていた彼女のおかげです。

本当にどれだけ支えになってくれたか、感謝してもしきれません。

 

僕はずっと傍にいてほしい、と本気で思いました。

ずっと働いていた会社は、とにかく長時間労働で
楽しさなんて一切無いような苦痛だらけの環境でしたが、
何とか耐えられたのは彼女がいてくれたからこそです。

仕事を始めて2年になろうとしていた頃です。

 

僕は彼女へのプロポーズを考え出すようになりました。

ですが、そのタイミングで耳に届いたのは
彼女が風俗店で働いてる、という事実でした。

彼女のために、何もできない自分

僕の事を支えてくれていた彼女は、実は「お金」ですごく悩んでいたんです。
風俗店勤務という事実が、それを物語っています。

大好きな彼女が風俗で働いている事に対して悔しさは覚えませんでした。

 

胸にあったのは、それに気づけたとしても
「お金の事で何の助けにもなれない」
自分自身への強烈な悔しさです。

紆余曲折あって、結果的にその彼女には振られてしまいました。
それでも胸に残る気持ちは変わりません。

絶対お金持ちになってやる。

そう意思を新たにした瞬間でした。

 

辛いかもしれませんが、少し想像してみてください。

もし自分の大切な人が余命1ヶ月と診断されたとしたら、
あなたは今の状況で、その人のやりたい事
全てを叶えてあげることができますか?

 

余命1ヶ月ではなくとも、彼女にはすぐにでも助けが必要でした。
でも、当時の僕は悩んでいた彼女の何の助けにもなれなかったんです。

 

だからこそ、自分がお金持ちになって、いつか見返したい。
その頃の自分自身を見返したい、と思ったんです。
そう決意してから、自分の人生は大きく変わっていきました。

 

ちなみにその彼女からは最近連絡が来ました。
どうもサウジアラビア人の富豪と結婚することになったらしいです。
……幸せそうで何よりです。

まずは自分を変えるしかない! 海外への無謀な挑戦

10代の頃の僕は、どうしようもないヤンキーで、
頭も悪くて何をしても中途半端な人間でした。

しかし、毎日16時間以上働き続ける、
何も面白みもない日常がとにかく苦痛で、
それに失恋も組み合わさったとき、僕は理解しました。

 

とうとう自分の人生を変えるときが来た、と。
そして僕は思い立ち、すぐさま実行しました。

それがオーストラリアへの旅立ちです。

 

海外へ行くことで、自分の性格を変えることができる。
自分の知らない世界を見ることで、自分の価値観を広げられる!

そんな思いから、たった10万円のお金を握りしめ、
初めての海外へ飛び出しました。

もちろん言葉が話せない恐怖や、10万円しかないのにどうやって1年間乗り切ろう、
という不安もありましたが、

「飛び込めば何とかなる!」

 

その考えだけで日本を出て、7000km先の地で生活を始めました。
今考えると無謀過ぎますね。よく死ななかったと思います。笑

何はともあれ初の海外。手元には僅かの資金。
当然現地についてまずしたことは仕事探しです。

そうじゃないと死んでしまいますからね。

 

英語なんて全くわからない状態だったので、
僕はスーパーマーケットの前でダンボールを持って立ち続けました。

ダンボールには、拙い英語の文字。

「GIVE ME A JOB!」(仕事をください!)

 

日本と違い、たくさんの方が声を掛けてくれたのですが、
なにしろ英語が分からないので会話にすらならない……。

流石に困りました。このままでは飢え死にです。
財布はみるみる軽くなっていく一方。

 

しかし、店の前に立ち始めて3日目。
今でも第2の父親と思っている
オーストラリア人との奇跡の出会いがありました。

「ヘイ!ボーイ。カム(そこの少年。来い)」

この言葉は今でも忘れません。

 

僕は呼んでくれた彼は現地での仕事を紹介してくれました。
その時給、何と22ドル(当時2200円!)です。

仕事自体は1日12時間働く、まさに馬車馬のようなものでしたが、
おかげで半年間のうちに100万円近いお金を貯めることができました。

ところが、お金も稼げて、段々と生活にも慣れてきた頃。
またまたハプニングが起こります。

まさかの逮捕で強制送還の危機

仲の良い日本人の友達がバイクを買ったと聞き、
じゃあみんなで完全なゴーストタウンとなった夜の街に繰り出そう、
とはしゃいでいたある日。

なお、もちろん僕は日本の免許もないので、国際免許は持っていません。

 

でもさすがに、こんな田舎で警察なんて見たことないし、大丈夫だろう。
そんな感覚で国道に出て、久しぶりのバイクにアドレナリンが爆発。

そして、後ろから一台の車が現れました。

パトカーでした。笑

 

いやもう、笑うしかないですよ。
英語で「STOP PLEASE」って即言われましたからね。

しかも僕が乗った瞬間、バイクのテールランプが切れたんです。
完全に呪われてるとしか思えません。

まさかまさかの展開で、僕の顔は一転して冷や汗だらだらです。
とにかく英語がわからないフリをして乗り切ろう作戦に出ましたが、

 

聞こえてきた言葉は、
「もしお前が免許とパスポートを出さなければ檻に入れる」
やばい。このままだとガチで強制送還だ。
そう思った時に、ある友人が助け舟を出してくれました。

 

その人は、何年もずっと世界を旅している人で、髪の毛もヒゲももじゃもじゃで、
まさに旅人といった感じの見た目をしています。

相手が日本語はわからない、という状況を使い、
どうにかこの場を乗り切れないかと考えて、
その人の免許とパスポートを「僕のです。」
と差し出してみる作戦に出ました。

 

幸いにも、免許の写真は僕に似ていなくもありません。
日本人が外人の顔を正しく見分けられないのと同じく、
白人もアジア人の顔は見分けられなかったのでしょう。

最後には何とかごまかせたようで、僕は無灯火の罰金だけで解放されます。

 

「セーーーーフ!」
と叫びたいくらい安心しました。
本当に危機一髪のピンチでした。

ただ不思議なことに、どんなことでも
終わってしまえば人間胆力がつくもので、
振り返ってみると最高に面白い経験になったと思います。

今では話のネタとしても大活躍です。

 

そして、一歩間違えれば強制送還という、
普通に生きていたら絶対に遭遇しない貴重(?)な経験は、
僕のビジネスを始める1つのきっかけにもなってくれました。

全ての経験はビジネスへの肥やしに

 

嫌で嫌でしょうがなかった日常を抜け世界へ飛び出したことで、
僕の価値観や考え方は大きく変化しました。

「自分の人生は、行動次第で変えられる!」

そう思えるようになったんです。

 

今に悩んでいても、動き出さなければ何も変わりません。
行動するからこそ、何かを得られるのだと思います。

そう思ってからは、もっと海外へ行きたい、色んな国を見て回りたい。
そんな夢ができました

 

しかしそのためには、
会社員の身へ戻るという選択はできない。

戻れば、また昔と同じような
縛られた生活が待っているだけです。

だからこそ自分の力でお金を稼げるようになるしかない!

 

それも、場所も時間も選ばず、お金を稼ぐことのできる方法で。
僕は悩み、考えました。

 

そして出会ったのが、
インターネットを使ってお金を稼ぐネットビジネスです。

この時は、まさかその5年後に今の様な生活を手に入れられるなんて
想像すらもしていませんでした…..。

第二章へ続く・・・

⇒ 【第二章】ビジネスのスタート